ネギトロの由来・語源とは? ネギのイメージは何故? 3つの考察!

ネギトロの由来・語源とは? ネギのイメージは何故?3つの考察!

手巻き寿司・軍艦・丼ぶりと何かと大活躍するネギトロ!
どうやらネギトロはねぎが入っていなくてもネギトロと呼んでいいらしい。

「ねぎ + トロ」じゃないの?

そこで、今回はネギトロの語源や由来について紹介します!

こんな内容を紹介していきます!
  • ネギトロの語源と由来とは?
  • なんでネギのイメージがあるの?
  • ねぎとろの発祥の歩み!
などをまとめているのでネギとトロの以外な関係に気付くかも^^

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ネギトロの語源と由来とは?

1964年に浅草の金太楼鮨本店で、まかないの“ねぎ取った”創作寿司を常連に振舞ったのがはじまりです。
マグロの中落ち部分を使用し、身を骨の周りから削り取っとものでした。

ネギトロの語源は建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでいて、会長が浅草の名店『むぎとろ』に家族でよく出かけていたことから、語呂合わせで『ネギトロ』と名付けたそうです。

野菜のネギからきた語源ではないようです。

なんでネギのイメージがあるの?

ネギトロの由来にはねぎとの関係はありませんでしたが、やっぱり「ネギトロなのにねぎが入っていないなんて!」ってイメージがありますよね^^

なんで野菜のネギのイメージが結びついてきているのか、ずばり考察していきます!

ネギトロには「ねぎ」! 3つの考察!

  • 群馬で商品化!
  • 山梨の寿司文化!
  • トロの美味しさが多く広まったため!

point1

群馬で商品化!

1987年から、ネギトロが群馬(赤城水産)で商品化され、
誰でも気軽に食べられるようになりました。

80年代の寿司はちょうど、高級な料理屋で食べるものから、
回転寿司や持ち帰り寿司が広まり始め、
家族で食べられる庶民的なものに落ち着いてきた時期です。

寿司屋の通な方しか食べられていなかったネギトロも
この流れの影響も受けて広まっていたのだと考えられます。

群馬はマグロの消費量が現在でも上位にくるほどマグロ好きな地域です。
同時に、ねぎの生産量も上位に入ります。

江戸時代、明治時代の頃の群馬のお隣、山梨の甲府は静岡からマグロを運んでいました。
道中山道ということもあり、夏場は涼しく、早いと一晩で届けられていたようです。

海がない地域ですが、甲府は山道だけでなく、
富士川と駿河湾を結んだルートで船からも海産物が輸送され、
多くの海産物が届けられていたことがわかっています。
長野や群馬にもマグロや海産物が運ばれていたようです。

マグロを届ける静岡はマグロとねぎの消費量が上位の地域です。

マグロ好きとネギ好きが合わさった地域なので
ネギトロが商品化されたときも、食べ方の見本になっていたのかもしれません^^
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point2

山梨の寿司文化!

群馬で商品化されたネギトロですが、
起点となっていたと考えられる山梨は人口10万人当たりのすし店数が日本一です。

とくに、江戸前寿司の文化が大きく色づいています。
傷みやすい海産物を美味しく食べる知恵が加わったものだと思います。

そんなわけで、江戸の文化といえば「シャレ」です。
春夏冬で「あきない」と読ませてみたり、
するめをあたりめとしたりとシャレ好きな文化があります。

こういった文化の色を山梨をはじめ群馬にも伝わり
ネギトロは「ネギ + トロ」といったシャレが馴染んだのかもしれません

point3

トロの美味しさが多く広まったため!

江戸時代以前は、マグロと言えば赤身を指し、
トロの部分は寿司としてはほとんど食べられていませんでした。

もともと脂身であることから「アブ」と呼ばれていて、
大正時代になると人気な食材となり、
肉質がトロリとしていることから「トロ」と名付けられたそうです。

このトロが大人気になり定番なものになったことで
ネギトロもトロを使っているといったイメージと結びついたのだと考えられます。

さいごに

ねぎとろの発祥の歩み!

  • 1964年 ネギトロが生まれる!
  • 1987年 ネギトロが商品化される!
  • 現在 手軽にどこでも食べられている!
ねぎとろの語源は野菜のネギからはきていませんでしたが、
調べてみるとまんざら野菜のネギとの関係がないとも言い切れないものかもしれませんね^^
最近はスーパーで「ネギトロ」と「マグロのたたき」と混同を避けた表記もあったりします。

ネギトロは軍艦や手巻き寿司、丼ぶりなど美味しく食べられますが
夏は冷やし中華のトッピングとして載せるのがおすすめです!

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トマトの漢字・和名とは? トマトの歴史、日本ではいつ頃から?

トマトとは?

トマトは、緑黄色野菜の一種で
南アメリカのアンデス山脈高原地帯原産のナス科トマト属の植物です。

トマトを最初に栽培したと言われるのが
8世紀の初頭、アステカやインカの民です。

また、世界には約8000種類以上ものトマトが存在しています。

日本の場合は、農林水産省の品種登録によると
190種類を超える品種が登録されています。


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トマトの歴史

スペイン人が、16世紀に南アメリカに到達しました。
その時に、唐辛子・トウモロコシ・ジャガイモ
その他の色んな植物の種をヨーロッパに持ち帰りました。

同じようにして、トマトもヨーロッパに伝えられました。

当時、トマトは観賞用とされていました。

トマトが有毒であるベラドンナに似ていたため
食べたら死んでしまうと信じている人もいました。

しかし、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ
200年にも及ぶ開発を経て現在に至ります。


18世紀になるとトマトは一般的に食用となりました。

イタリア、スペイン、ポルトガルの地中海地域で好まれるようになっていきました。

最初は揚げ物調理されていましたが
フランスや南イタリアでトマトソースが作られるようになり
今では赤色の調味料として欠かせない存在となっています。

18世紀末には、すでに多彩なトマト料理がイタリアに生まれ
パスタや肉のトマト煮込みとして重宝されています。

そして、北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されていませんでした。


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日本にトマトが来たのはいつ頃から? 漢字・和名とは?

トマトが日本に伝わったのは17世紀の半ばです。

四代将軍徳川家綱のお抱え絵師であった狩野探幽が
「唐なすび」と称して1668年に描いています。

最古の文献は江戸前期の儒学者貝原益軒の大和本草(1709年)で
「唐ガキ」と紹介されていて、中国では、現在も「西紅柿」と呼ばれています。

最初はヨーロッパと同様に観賞用として珍重されていました。
食用になったのは明治以降です。

キャベツやたまねぎ、アスパラガス、にんじんなどの
西洋野菜とともに改めてヨーロッパやアメリカから渡ってきました。


日本では明治以降になるとトマトは食用として利用されるようになり
さらに昭和に入ってからは、日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになり始めました。

また、トマトは和名で
唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)
などと呼ばれています。

日本でトマトの栽培が始まった頃は温室などの設備が不十分だったため
春に種を播いて夏に収穫する作型が一般的でしたが

現在では、ハウス栽培などで年間を通してトマトを栽培することが可能となり
一年中、美味しいトマトが食卓に並ぶようになりました。


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おせち料理の黒豆の意味とは? 美味しい炊き方のコツは釘?

黒豆とは『畑の肉』と言われる白(黄)大豆、青大豆、赤大豆など
多くの大豆の種類の中の1つで表皮の色が黒色の大豆のことです。

黒豆は日本では古くから栽培をされていて、黒豆の正式名称は黒大豆と言います。

その起源ははっきりしまませんが
平安時代に作られた辞書の和名類聚抄(934年)に
当時の食品として鳥豆(クロマメ)が記載され
すでに平安時代には黒豆が栽培されていたと考えられています。

日本で広く栽培が始まったのは鎌倉時代以降のようです。
その頃には仏教が広く普及していました。

その影響で肉食が禁止されていたため
身体に必要なたんぱく源を納豆や味噌から取り入れていました。

また、戦に出かける侍や農民たちの
栄養食・保存食(兵糧丸)としても大豆製品が不可欠なものでした。

こうして大豆の栽培が広まっていき
時代の流れとともに加工技術も発達していきました。

そして、味噌・納豆・醤油・豆腐・きな粉・おから・ゆばなど
様々な加工品が作られるようになり
私たち日本人の食生活に欠かせないものになっていきました。


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黒豆と言えばお正月のおせち料理の定番な食材ですが
黒豆をおせち料理で食べ始めたのは
室町時代に砂糖が不足していたため
こんにゃくと炊き合わせて「座禅豆」と呼ばれる料理が食べられていました。

これがおせち料理で黒豆を食べる起源と言われています。

また、江戸時代中期までの日本の食文化や日本に古くからある食慣習の多くは
京都を中心とした宮中に起源があり
京都宮中の近隣に位置した丹波国を中心に黒豆が栽培されていました。
黒豆が宮中へ贈られ、お正月に食べられていたものが
その後、日本の食文化として各地へ広がって行ったとも考えられています。

お節料理に黒豆を食べるようになった理由は昔から
「黒い色は邪気を払い災いを防ぐ」
「黒い色は健康を意味し、マメに達者で皺のよる迄長生きを」と祈って
食べるようになったと言われています。

また、黒豆は稲作農耕民族である日本人にとって大事な意味を持ちます。

黒色は日焼けを意味し、水田でよく働く。
丸い形は鏡餅と同じように太陽を意味します。
豆(まめ)は、精を出してよく働き、体が丈夫なこと
(まめに働く・まめに暮らす)という意味で

「一年間の厄払いをして、今年一年元気で働けるように」
との願いを込め、おせち料理に黒豆が選ばれるようになったとされています。


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黒豆の煮方 ~おいしく・艶やかに~

黒豆を上手に炊くコツ

  • 後から調味料を足せないので、きっちり量っておくこと
  • 煮始めたら、火加減はごく弱火で。
  • 空気が入って硬くなるので、煮あがるまで決してふたをとらないこと
  • 黒豆が煮あがったかどうかは、一つぶ縦にして、親指と人さし指ではさんでみる
  • 豆が座布団に座るように弾力があったらOK
  • びゅんと飛び出してしまうようだったら、まだ硬い

さびた釘を用意するのも大変なのと
鍋にさびた釘を入れるのに抵抗があるかたは鉄玉子を使うと便利です。

色艶がさびた釘より安定したりもするのでおすすめです。

黒豆を煮るときだけのために購入するのは少し抵抗を感じますが基本的には一生ものですし、ご飯を炊く際やお茶を沸かすときなどにも使えます。

鉄分を補給できるので貧血対策にも一役買います。

手間はかかりますが、その根気が幸せな豆の味につながるのかもしれませんね。


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おせち料理の意味と由来とは? 神への感謝が「おせち」の原点に?

おせちとはもともとお正月だけではなく桃の節句や端午の節句などの行事でだされる料理のことでした。
そのうち最も大切なお正月に食べる料理だけをおせちと呼ぶようになったのです。

これは日本の農耕文化と関係があるようです。

年神様をまず、お招きすることでもって年神様のためにおせち料理を作ります。
年神様をお招きして私たちがお正月のおせち料理をいただくというわけです。

おせちが一般に食べられるようになったのは江戸時代からです。
食材を積み重ねた食積(くいつみ・蓬莱飾り)という飾りと酒の肴の重詰めを用意しました。


近代になってこの2つが一緒になり重詰めのおせちになりました。

1960年代(昭和40年頃)には百貨店でおせちが販売されるようになります。
そして今やおせちの売り出しは年末の恒例行事となりました。

料理や器の種類もバラエティ豊かになり、おせち百花繚乱の時代です。

見て美しく食べてめでたいおせち料理――。
そこには日本人が大切にしてきたものがぎっしり詰まっています。


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おせち料理に大切な彩りの意味

おせちの見所はたくさんの料理が重箱いっぱいに盛り込まれた景色です。
しかし、ただ詰めればいいというものではありません。

まず気を配るのは色の取り合わせ。

赤、青、黄、白、黒と食材の基本的な五つの色で華やかな彩りにします。
徳川家光の時代に取り組まれた五色不動や陰陽道の五行思想からこの彩りがきているのかもしれませんね。

最も大切なのは、隙間を作らないこと。ぎっしり詰まった重箱は豊かさの象徴なのです。

料理を隙間無く詰めることで生まれる、幾何学的な美しさ。
この緻密な技法を行儀盛りと呼びます。

おせちを重箱に詰めるのはなぜ?

おせちで重箱を使うのは、めでたさを重ねる、という縁起担ぎです。
地域や家柄によっても違いますが、重箱は五段重ねが正式とされます。

それぞれの段にどんな料理を詰めるかは、地方や家によってさまざまです。

■ 一の重

多くの場合、一の重は祝い肴と呼ばれる、酒の肴が中心です。
黒豆・かずのこ・田作りなど、おせちの顔ともいえる料理が並びます。

■ 二の重

二の重は、栗きんとん、紅白かまぼこ、厚焼き玉子などの甘い料理が中心。
かつて砂糖が貴重だった時代のごちそうの名残です。

■ 三の重

三の重には、マナガツオの味噌、焼きや鯛の生ずしなど、魚料理が並びます。
これは海の幸を表します。

■ 与の重

四つ目は、レンコンやクワイの煮しめを盛った山の幸。
四という数字を嫌って「与の重(よのじゅう)」と呼びます。

■ 五の重

最後の五の重。
空の重や控えの重とも呼びます。

さて、ここには何の料理が入っているでしょうか?
正解は……なんと空なのです。

来年はこのお重が埋められますようにという願いながら開けておく五の重。
そこには全てを埋め尽くさない奥ゆかしさが感じられますね。

「神様の服をここに詰める」という意味もあります。


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おせち料理の具材の意味とは?

かずのこ、黒豆、田作り。
おせちの中でもとりわけよく知られるこの料理は、三つ肴と呼ばれます。
ただおいしいから食べるのではありません。実は、料理の名前が大事なのです。

一例を紹介します。

それにはどういう意味があるかというと
まず数の子は子孫繁栄、子だくさん。

それから黒豆は黒くまめに働くという意味や、元気でなければいけないといった意味。

田作りというのは魚でいえばカタクチイワシ。
これはどこでも手に入る魚です。

また、かつて田畑の肥料だったことから豊作という意味があります。
子どもがたくさんいて労働力になり、それが豊作につながるということは国が豊かになるという意味です。

錦卵は故郷に錦を飾る。
巻物、だて巻きとか昆布巻きは文化を表します。

昔の読み物は巻物だから、そういうところに縁起を担いでくるのです。

それから、ふだん食べる物と違うので
やはり意味がなければいけません。
言霊信仰的な物がなければいけないわけです。


言霊とは、ことばに宿る力の事です。
声に出すと現実に影響をもたらすと信じられてきました。
例えば、神道の祝詞はめでたく美しい言葉で綴られます。
日本では、よい言葉は幸運を、不吉な言葉は不幸を招くとされました。

おせち料理の名前は、そうした考え方が表れています。

おせち料理は具材の切り方や調理法にも意味が!

意味を与えるのは、名前だけではありません。調理の仕方も大切です。

黒豆の色と艶にはいつまでも黒く日に焼けまめに働けるようにという願いが託されています。
艶やかな黒豆を作るには、表面のしわは禁物。煮立たせず、弱火でじっくり炊きあげます。

田作りの材料はカタクチイワシの稚魚。

かつて田畑の肥料だったことから、豊作を祈願する食材として取り入れられました。

大事なのは頭を残すこと。おせちでは尾頭付きにこだわります。
尾も頭もついた尾頭付きには徹頭徹尾全うする、という意味があります。


もう一つ、食材に意味を託すのが飾り切りです。
野菜を祝い事に相応しい形にします。

人参で梅の花の形を作ったり、クワイは細かい切り込みを入れて松ぼっくりの形にしたりします。
他にも、六方や鈴に見立てた飾り切りにしたりもします。

芽を残すことで「めでたい」を意味します。このクワイの装飾は、おせち料理独特です。

おせち料理の起源と原点とは?

名前や色、そして形。なぜおせちは、ここまで意味にこだわるのでしょうか?

おせち料理の起源は日本人が米を作り農業を盛んに始めた頃からで紀元前2~3世紀に始まります。

当時の人達は四季折々に収穫される産物の喜びを神に感謝することによって、単調になりがちな生活に節目をつけました。

この季節の節目に収穫物を神に供えることを「節供(せちく)」といいます。
供えたものを料理して豊作、大漁を願い、自然の恵みに感謝して食べる料理を「節供料理」

これがおせち料理の始まりです。

言霊信仰=シャレとは違います。

その中に願いを込めていなければいけません。

だから神とともに食事をしていると考えれば、願いということが通用してくると思います。

そこで下手すると現代の若い方はダジャレだと言うかもしれませんが、そのぐらい生きることに大事だったのです。

生きる事が、今よりもずっと困難だった時代。
健康で幸福に長生きすることは、一番の望みでした。

おせちには、人々の切なる願いが込められていたのです。

まず、神様に最初にお食べ頂いて、私どもが食べるということ。

お正月の料理というのは基本的にはそこの始まりというところだと思います。

食べ物こそが人間が生きるための基本であるので収穫にこだわります。
またそのために豊作をお祈りするという前提条件ですので、そちらがあって初めて収穫に感謝するという2つの大きな意味があります。

収穫に感謝し、その実りを神に捧げるという思いは、現代にも受け継がれています。

今年も、豊かな実りを、ありがとう。
1年のはじめ、自然へのあふれる感謝の思いを日本人はおせちという形に表してきたのです。

「神への感謝が「おせち」の原点」と言えるのではないでしょうか。


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クリスマスケーキの起源・由来・歴史とは?

クリスマスケーキはクリスマスを祝って食べるケーキとして19世紀にフランスで作られるようになりました。

「ブッシュ・ド・ノエル」というケーキが起源とされています。

ビュッシュ・ド・ノエルとも表記されますが
フランス語の発音をカタカナにするときに生じる違いです。

フランス語でノエルが「クリスマス」、ブッシュは「木、丸太」で「クリスマスの薪」という意味です。

ブッシュ・ド・ノエルは輪切りにしていない長いままのロールケーキの表面をチョコレートクリームやココアクリームで覆いフォークで引っかくように波型の筋をつけ薪に見立てたお菓子です。


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なぜ薪なのかというとこういった薪がたのものでお祝いする文化はキリスト生誕以前からあります。

かつてヨーロッパの各家庭では12月の上旬に大きな薪を焼き、冬至を祝いました。
日本だと冬至は、かぼちゃとゆず湯のイメージですよね。

ブッシュ・ド・ノエルはその薪に由来しているのです。

ちなみにドイツのクリスマスケーキ『シュトーレン』はドイツ語で柱や棒という意味です。

一説によればキノコはキリストの誕生を表しているそうです。
何もないところから忽然と生えてくる神秘性から生命誕生の象徴として捉えられたのです。

クリスマスケーキはヨーロッパの文化と宗教的文化が相まって生まれたといえますね。

なので、その土地どちによって多様なクリスマスケーキがあるのです。

世界のクリスマスケーキ

【イギリス】クリスマスプディング

イギリスのクリスマスケーキです。名前の通りにプリンなのではなくパンウンドケーキに近いデザートです。

イギリスではこのプディングの中に指輪やコインなどの小物を混ぜ込み切り分けられたときに当たった人の運勢を占う習慣があります。


【フランス】ベラベッカ

フランス北西部のアルザス地方で冬に食べられるお菓子。

生地のほとんどがドライフルーツやナッツの少量のつなぎで形をなしているので、かなり濃厚な味。
寒い冬にはフルーツが食べられないため、ドライフルーツのお菓子を食べるのかもしれないですね。


【ドイツ】シュトーレン

ドイツのクリスマスを待つ4週間の期間であるアドヴェントになくてはならない菓子。
ブランデーなどに浸けておいたドライフルーツを、たっぷりのバターと一緒に練りこんで焼いた細長いパン。別名 “法律のクリスマスケーキ” と呼ばれています。


【イタリア】パネットーネ

パネットーネ種の酵母を用いてゆっくり発酵させたブリオッシュ生地の中にレーズン、プラム、オレンジピールその他のドライフルーツを刻んだものを混ぜ込んで焼き上げます。
イタリアのクリスマスの時期だけに食べられる一品です。


【イタリア】 パンドーロ

生地が軟らかく黄金色で、バニラの香りの菓子パン。
材料は、小麦粉、砂糖、卵、バター、カカオバター、酵母だけなのですが作製技術は殊に複雑で、多数の作業行程を経て作られるためホームメイドは難しく、こちらもお店でのみの味になりそうです。


【イギリス】ミンスパイ

イギリスのクリスマスに欠かせない食べ物、それがミンスパイです。

もともとはひき肉でしたが、現在は、リンゴ、ブドウ、柑橘類などをみじん切りにしブランデー、砂糖、スエット、香辛料の液で煮込んだ後、数日間寝かせ、パイで包み焼き上げたものとなっています。


日本クリスマスケーキはイチゴと生クリームのイメージですが外国のはクリスマスケーキはパンみたいなもので、彩りとしては茶系のものが多い印象ですね。


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日本のクリスマスケーキの基本・原型を作ったのはどこ?

ヨーロッパに比べて日本のケーキは、なんともメルヘンチックですよね。

スポンジケーキに生クリームやバタークリームを塗り、その上に砂糖細工のサンタクロースやクリスマスツリー、イチゴやチョコレートを飾りつけたものが載って、まるでおとぎ話の一場面のようです。

なぜ日本のクリスマスケーキはこのかたちになったのでしょうか?

その原型と思われるものが大正14年に発行の当時最先端のお菓子を集めた本「阿住間錦」に載っています。

「パケアラクレーム」という謎の記載がります。イチゴのショートケーキに似ていますね。


イチゴのショートケーキを日本で作り出したのは「藤井林右衛門」だと言われています。

大正元年、アメリカに修行に渡った林右衛門が出会ったのは生クリームといちごをスコーンで挟んだ
「ストロベリー・ショートケイク」なるものでした。

帰国した藤井がスコーンを日本人好みのやわらかいスポンジに変えたものがイチゴのショートケーキの始まりだと言われています。


また、昭和40年代頃に冷蔵庫の普及が始まり、店舗や家庭に冷蔵庫が広く広まりました。
その頃から生クリームのショートケーキがクリスマスケーキの主流になったと言われています。

そしてこの藤井林右衛門こそが
お菓子メーカー『不二家』の創設者なのです。

日本では一般的になったクリスマスケーキの原型は不二家が大正11年(西暦1922年)頃から広めたものだったのです。

社名は、創業者である藤井家の「藤」と日本のシンボルである「富士山」

そして「二つと無い存在に」(不二)との意から『不二家』と名付けられたそうです。

不二家の店舗数は600店舗ほどでフランチャイズ店舗数ランキングでは17位の店舗数です。(FC加盟店数ランキング 2013年度調べ)

不二家はクリスマスケーキだけでなく、ミルキーやカントリーマアムなどの人気商品に加え、看板キャラクターの『ペコちゃん』は今でも根強い人気がありますよね。

クリスマスケーキの原型が不二家と聞いてなんだか納得してしまいます。

多種多様なクリスマスケーキがありますが改めて今年は不二家のクリスマスケーキを手に取ってみてはいかがでしょうか。


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